死神を探す女

死神を探す女

女は、まじない師の家系に生まれた踊り子だったが、父の死後は都会に出て、普通の若い女として暮らした。

「どんな男がタイプ?」

会社の同期や上司から冗談めかしてよく訊かれたが、女はうまく答えることができなかった。

女はどの男のことも、とりたてて好きではなかった。幸せそうに笑いながら街を歩く恋人たちという存在が、なぜ実在しうるのか、女にはわからなかった。

女は地味な身なりだったが、その顔つきは華やかで、肉体はしなやかで、男たちから見ると、無防備な粘膜に突然の熱波を浴びるがごとく、ふいに衝動的に手を伸ばしたくなるような、変幻の色香があった。ただ、女のほうはいつだって、冷静にサッとよけて清廉に笑うのだった。

それから25年が過ぎた。

女は誰とも結婚しないままだった。

なぜだか、やたらと出世して、国の大事をあつかう仕事についていた。

女には、学は無かった、コネも無かった。しかし女は要所を心得ており、そこで権力のある複数の者たちを動かす力が、なぜだかあった。要所での成功を繰り返すうちに女は出世していた。

そうして市井では出会えない男に出会った。

女の上司だ。

垢抜けないメガネを外した彼の顔立ちは美しく、その少し着古した大きめの背広も、スラリと縦に長い整った彼の肢体を隠して、周囲の性的な興味の対象から彼を隠すための小道具に見えた。彼が全部脱いでしまって、Tシャツと短パンだけになってしまった姿を眺めたいと、女は思った。

しかも彼は、異常なほどに勘がいいのだ。つまり頭が良いのだろう。他人よりも多くを見て、多くに気づいて、多くを記憶している。他人と同じように働いていても、彼の保持するデータ量だけが常に桁違いに大量で、まるで先読みできるみたいに物事を実行していく。人間という生物の中での比較で見た場合、彼こそが、頭ひとつ抜けた優れた生命体なのだけれど、彼はそのような生物としての優位性を周囲に意識させなかった。彼は常に温厚で平等であり、人格者として周囲に認知されることを好んだ。

「どんな男がタイプ?」

彼に愛されたら幸せだろうと、女は思った。

でも叶わない夢。

彼は妻帯者で思春期の娘も二人いる。

家に帰ると鋭敏な女三人の目に晒されている父親である。そして組織の中では人格者。そんな彼に恋をしたところで、見向きもされないに決まっている。部下である女に、彼がやすやすと手を出すとは思えない。

しかも、と女は次第に状況を冷静に分析し始める。よく考えたら、想いが届き、彼が女を愛したとしても、それはそれで女としても面倒だった。

なぜなら、もし仮にそうなってしまったら、女はもう、彼を裏切ることができない。

たとえば彼が組織の権力闘争で負けるのであれば、女も一緒に負けなければならない。本当は、女は勝ったほうについて行きたいのに。今までだって、本能で強いほうを選んで出世してきたのに。

負けるってどんな感じ?

女は負ける自分は想像できないけど、負ける彼は想像ができた。

彼は生物として優れているけれど、組織の頂点に立つタイプではない。最後は負けを受け入れざるを得ない人だ。

「そうなる前に、死ねば良いのに」

しかし彼は負けてしまったとしても、死なないのだろう。

女は急速に、彼に対する興味を失うのを感じた。

なんだろう、このチグハグな感じ。

思えば、女は、覚えていないだけで、これまで何度も同じように、誰かに対するほのかな恋心と幻滅を繰り返してきたのかもしれなかった。

つまり、男たちが欲しがるのは一緒に生きてくれる女性だった。

死にたい男など、一人もいなかった。

彼も同じ。

社会における彼の個人的な戦いを、支えてくれる女を彼は求めている。

生きて、生きて、最後まで、加齢で蝕まれた肉体が命の力を保持できなくなるまで生きて、あがきながら死んでいく自分のそばにい続けてくれる女を、彼は求めている。

でも、そういうの、逃げたくなる。

女は、いずれ自分は自殺で死ぬと思っている。

今は勝ち続けている。

だから生きている。もし負けてみじめになったら、女に生きる理由はない。

別にいつだっていいの。

もしも、ーー

彼が、今日一緒に死のうと言ってくれたら、女は死ぬだろう。彼の胸にきつく顔をうずめて尽きる自分の命を夢想すると、女は泣きたくなる。

「一緒に死んでくれる人がいいな」

なぜだかわからないが、女はずっと、死にたくてたまらない。都会に出る前から、踊りを覚える前から、小さな子供の頃から。

女はいつだって一人で、孤独にふるえている。

そして、どんなにつらくても、女が誰かにすがることはない。

女が欲しいのは一緒に死んでくれる一人の理想的な男性だけで、それ以外の全ての人間が面倒なのだ。

女は自分の孤独がどこから来ているのかわからない。

自分の内側から?

であるとしたら、この世界はどこまで行っても、自分が創造主の内なる世界だ。