5年ぶりの更新。
前置き無しで始めます。
勝ちたいときは、詰将棋を解いたあとのように、詰んでいる(最初から勝つことが決まっている)状態から始めたいと思っている。相手があがいて抵抗しても、すでにその対策をこちらは打っており、相手が次の手を打って出ても、やはりその道もこちらはあらかじめ塞いでおり、相手が最終手段に出たとしても、やはりその道も塞がれていて、相手はどうしても、こちらをねじ伏せることはできない。
こちらも、安穏としているわけではない。最初の想定から漏れていた事項の存在に冷や汗を流し、相手がその穴から侵入してくる恐怖に怯えながら、夜を徹した修復作業を行う。これでOKと思ったら、今度は別の穴が見つかり、胃を痛めつつポーカーフェイスを保ちながら必死の修復作業を行う。こちらも、もがき苦しむ。
ただ、やはり最後はこちらが勝つ。なぜなら、完璧な道筋などないことを前提としつつ、完璧を目指して勝つまでのシミュレーションを繰り返した上で、戦いを始めているから。
勝ちたいときは、そうして物事を始める。
だから、無力感しかないのは、私は生まれた時から、最終的には負ける戦いを生きていることだ。
人は無限の可能性を秘めた光り輝く小さな玉として生まれてきて、成長して、老いて、死ぬ。
あがいたって無駄。はち切れんばかりだった頬の肉は水分を失い、いずれはシミの浮き出た皮と骨だけになり、当たり前のように醜く老いた肉体をまとい、そして病気の痛みにのたうち回り、死ぬ。
逃れられない。
順番だから。
誰だって、そうなのだ。
自分の意思とは無関係に自分が終わることが、すべての命につき定められていて、その与えられた命の期間が、幸せであろうが、苦しかろうが、何かを達成しようが、何も達成できなかろうが、同じ。最後はみな命がつきて終わる。
最初から詰まれているようなもの。
あがいたって無駄。死をねじふせることはできない。
生と死の繰り返しで、世界はできている。
自分とは別の新しい命が、新しい世界を生きる。
なのに、どうして自分は今、生きていなければならないのか。何をやっても苦しいのに。
自分に魔法をかけるしかない。