社会への適応

ネガティブ日記の終わり 02

期限さえ決まっていれば、たいていのことに我慢ができる。

就職して間もなく、30になったら隠居すると決めた。

隠居した後は、漠然と、子供を生んで育てることを考えていた。

しかしそのうち、30を過ぎたら小説を書いていくという夢に置き換えられた。

新人賞を取り、プロになり、それで食べていく。自分の未来は安泰だと信じていた。

思えば、私は挫折を知らなかった。

私が望みさえすれば叶う。

と、30代に入ってなお、心の底から信じこんでいた幸せな人間が、私だ。

私は小さな頃からやりたい放題で、まわりをヒヤヒヤさせることばかりしていたが、でも最後には必ず、私が笑った。これまでもそうだったし、これからもそうなのだ、と私は信じこんでいた。

でも、うまくいかなかった。
新人賞には、最初の2回はそれなりのレベルの選考まで残ったが、その後はパタリとダメになった。一次選考にも残らない期間が5・6年続いた。

その後は上向き。さすがに10年もねばれば、満足のいくものは書けるようになる。あとは新作を書いて送り続ければいい。そうすれば、どこかで誰かが拾ってくれる、という確信が芽生えた。

と、同時に、時代が変わっていることに気付いた。

今の時代。新人賞を取って、何を得ることができるのだろう? 芥川賞/直木賞すら、ほぼ無視状態なのに。

10年。

好きだからこそ、続けることができた。

でも、だからどうしたというのだろう。私が思い描いたような作家に、いつなれるのかわからない。もしかしたら、一生なれないのかもしれない。

私の夢は、実はもう終わっているのだ。
だって、結局、一度足を洗ったはずの会計士家業に戻らねば、生活していけないのだから。

昨日、42才の誕生日を迎えた。
子供は結局作ろうとしなかった。
夫とは、いつまで続くかわからない。

私は、誰と一緒にいることを選択するのか。
私は、何で生計を立てていくことを選択するのか。

何を取るのか。
何をあきらめるのか。

あがいても弱っていく身体機能。
どんどん力をつける年下の子たち。

なのに私は、いまだに、あきらめることも、自分を受け入れることもできていない。

若いうちに、自分はこれと決めてしまって、しゅくしゅくと前向きに日々を生きていく人たちがうらやましい。

ささやかではあるが、安定している。

彼らは主人公ではない、ただの自分を受け入れている。

私はずっと分裂気味で、素直な感情と見栄が対立してばかり。何事もきちんと選ぶことができない。

選べない人間は、結局、何も手に入れられないのだ。

逃げ道ばかり残したがる自分。
逃げ道がなくなりそうで、うろたえている自分。
お前が欲しいものは何なのだと、自分に問いたい。

でも、そうして帰ってくる答えはいつも、無、なのだ。