「人間嫌いのルール:中島義道著」
読了。そして、一つの結論が出た
私がこのブログを始めたのは、自分の「人間嫌い」を治したいからだった。私の腹の中に巣食う劣等感と不安から逃れたかった
しかし、この本を読んで、思った
「人間嫌い」は、治る治らないの問題ではない
女は女であり、男とは違うように、「人間嫌い」は「人間嫌い」であり、他人と繋がっていることに喜びを見いだせる大多数の人々とは違う。それは性差と同じくらい、その人の根本を定義づけていて、後天的な努力によって克服できるたぐいのものではない
なぜ、そう結論づけたのか
著者中島義道氏の思考回路、趣向、金の使い方、心の琴線にふれるポイント、について、私と非常に似通ったものを感じたからだ。同じ民族といえるくらいの同質性を感じた。氏によると、「人間嫌い」という民族は、少数民族ながら確実に存在はしているようだ
そう….つまり、思えば、私の夫も、どちらかといえば私に近い。他人と繋がることに全然価値を見いだしていない。ただ、社会の網からこぼれ落ちないように、今必要な最低限のつながりだけをキープしている
夫の前につきあっていた人も、思えば人間が嫌いな人だった。ただ、彼は実家が金持ちでルックスが良くて頭も良くて、才能のかたまりだった。だから、社交的な場は苦手だけれど、一見すると何の問題もない人だった
その前の彼は、人間が好きだった
その前の彼も、人間は好きだった
私が、より居心地のいい人を求めた結果として、今、同じ民族の夫がいる
「人間嫌い」というと、極端になる。だから、つまり、自己愛の強い人、自分なりの美学のある人、他人をあまり認めてない人、むやみに他人に好かれることを気持ち悪いと感じる、そういう人たち
思えば、けっこういる
しかも、あまり悩んでいない(?)