ひとみしりはしない。子供の頃から。
知らない人が怖いという感覚よりも、初めて会ったこの人は、どういう人なのだろうという興味のほうが先に立った。
大人になってからは、そういった興味が薄れる代わりに、初対面の人が私に対して見せる緊張を、ほぐしてあげたいという衝動が強くなった。ーー怖がらなくていいの。私はあなたに対して緊張しないし、あなたも私に対して緊張しないでほしい、とばかりに。
ゆえに、初対面の人は、私に対して良い印象を持つ。こんなにうちとけて話したのは初めてだとか、学生の頃以来だとか言い出す人までいる。
問題は、その後。一晩寝ると、私はもう逃げ出したくなっているということだ。
ただ、逃げたい。
ふり返らず全力疾走したい。
つまり、たぶん、ひとみしりというのは、他人とつながりたいという正当な欲求を持つ人が保有する、正当な感覚なのだろう。初めて会ったこの人に、自分はどこまでこころを開けるのか、推し量るのに必要な時間が、ひとみしりの時間。
つまり、他人にこころを開くという概念がない人にとっては、不要な時間。
さいしょはそれでもいい。
たいていの人が、第一印象では、私を好むから。
でも、そのうち、だめになる。
第一印象の私が、私ではないことに、すぐに気づく。
しばらくすると、私はとってもフレンドリーだったくせに、実は誰との関係も求めていないことに気づく。
求めたいのに、求めることができない。
私はさみしいくせに、誰かとうちとけあうことが、いやでしょうがない。
そういう自分のことは責めないことに決めた。
ただ、まだ、生きにくい。