人間が嫌いなんじゃない。たんに、人の好き嫌いが激しいんです。
という言い訳を思いついてみた。
たとえば「わたし実は人間が嫌いなんです」と、知人が私に告白してきたら、私は、知人は私のことも嫌いだったのか、と私は怖くなる。
しかし、これが、「わたし人の好き嫌いが激しいんです」だったら、逆に、知人は私のことはわりと好きなのだろう、と私は考える。
そういう、だまし。
だましではない瞬間だって、多々ある。しみじみと、この人好きだなあ、かわいいなあ、すてきだなあ、また会いたいなあ、また騒ぎたいなあ、と思う瞬間は、ほんとうに、たくさんある。
なのに、みんな、私の手のひらからすり抜けてしまうのだ。
根底には、私は他人から好かれるような人間ではないという、激しい思い込みがあるのかもしれない。傷つくのが怖いのかもしれない。
しかしやはり、それ以上に、結局のところは私自身が、他人のこころのぬくもりを求めていない。
人とつながることは、心強いことだ。
でも、やっぱり、なんかいや。
私の無意識が一人を選ぶ。
そして、本当にさみしくなったときに、自分勝手に他人を求める。
でもそんな自分を肯定します。