私は人間が嫌いなんじゃない。
普通は好きであるべき人を、好きになれないだけである、との仮定を立ててみた。
まずは親。
私と似ているところもある。しかし似ていてほしいところは、一切似ていない会話の成り立たない人たち。何度か書いているので、もう書かない。
次に、みんなから性格がいいと言われている人。
その場にいるみんなが、あの人はいい人だという共通認識を持っている人。
彼らは、誰にでも優しく、私にも優しい。しかしその優しさが、なぜだか嘘に感じて気味悪くなる。俗世間にたいする見事な順応ぶりを、冷ややかに見下ろしてしまう。
そして、まじめな人。
やたらと一本気。まじめさ=正しさと信じている。ふまじめな人のことを正義の刀で糾弾するが、ある程度は人格者なので周囲もそれを受け入れている。
みんな苦手だ。
鼻で笑って、そっぽを向きたくなる。
しかし、彼らは、世間や小集団の中で、好きであるべき人と定義づけられており、私はその規範に縛られる。
好きであるべき人を好きになれない自分の感性を、世間の方々より劣ったものと、無意識に定義づける。
そして消極的になる。情緒不安定になる。……という悪循環。
それが、誤りだった気がしてきた。
なぜなら、私にも、好きだなあと思える人たちがいるのだ。
いい子ではない人たち。腹黒く、冷たく、わがままなのだけれど、ベースは潔癖。精神的に潔癖。どことなく清い。
社会的な成功者から、末端の事務員まで、彼らは世間のいたるところに点在している。彼らなりの戦いの日々を送っている。
そっちの人たちは好きなのだ。
だったら私は人間嫌いじゃない。
ただ、ちょっと感性が独特なだけ。
ただ、ちょっと、べたべたした関係が苦手なだけ。