年末休暇が始まる少し前に休みを取って、ヨーロッパを一人で旅した。異国の日常にまぎれこみ、頭の小さい背の高い人々の群れの中を歩きながら、たとえばその街で生きる自分を考えた
死後の世界について考えるのに似ていた
日本での私の生活は保証されている
若かった頃は何も持っていなかったのに、40代ともなるとすでに社会的強者であり、手に職があり、仕事のためのコネクションがあり、家があり、家族があり、腕のいい医者を知っていて、肌を十才以上若く見せるための基礎化粧品や漢方薬を知っている
友達はいない
けれど、知らない人たちと友達のように遊べる方法も知っている
日本で、日本語を使って積み重ねてきたものだ
そんなすべてを捨てることは、死ぬことに似ていた
自殺者の生活は、自殺した時点で止まり、その後はない
しかし、今ここで自殺する代わりに外国に移住したとしたら、その後に大量の苦悩の時間が待っている
社会的強者だった頃の記憶を捨てて、かつての何も持っていなかった自分の、そのさらに下からやり直さねばならない
で、そうして苦労して、私が手に入れるものは、たぶん日本と変わらない日常なのだ
頭の小さい背の高い人々は、日本人と似ている
どこへ行ったって、他人と気楽につきあえる人間が強者なのだ
ただ顔と体つきと表現が違うだけ
そうして私は、ゆうゆうと生きていける日本へ戻ってきた
このブログを始めたのが2013年9月23日なので、3ヶ月が経過していた
私は、変わったと思う
本当は、何も変わっていないんだけれど、でも、変わったと思う
自分を否定してはならないと思った
自分のやりたいことをやらねばならないと思った
それで嫌われようが、好かれようが、気にしてはならないと思った
人間が本気で嫌いな私は、マイノリティとして生まれました
私からすれば、この世の99.9%までが異人です
私が普通にしていると、うくし、ひかれるし、けむたがられるし、こわがられるし――でも、たまには、私にあこがれてくれる人もいる。私を感覚的に好きだと思ってくれる人もいる。しかも私はそんな彼らのことすら好きとは限らない。だいたいは逃げ出したくなっている
それでいいと思った