強烈な幸せも、強烈な不幸も、瞬間でしかない
少し時間が経てば普通になる。それからは、昨日と同じ今日、今日と同じ明日、ただただ消費されていく、普通の日々、日常という名の時間の経過
人に与えられた生命のうちの99.9%は、ただの日常
それは、生きるに値するのだろうか
20代の頃は、ただの日常だからという理由で死にたくなった
ただの日常にすがって生きることは、みっともないことだと思っていた
0.1%しか与えられない、強烈な幸せと強烈な不幸の瞬間のみが、生きている瞬間であり、他はどう定義していいかわからない、漫然とした大量の不幸だった
今は少し違う
上手に生きている人たちが、漫然とした大量の不幸を、どう扱っているのかを学習し始めた
お気に入りのものをまわりに集めるのである
なんでもない時間の経過を快適な時間に変えるのである
ただの日常を、生きるに値すると断定する
同時に
過分な期待を自分の生命に対して求めない
ひたすら受け入れる
まだ、私には、ムリ
でも、たぶん、きっとそれが重要な何かだ