社会への適応

すべてを失う不安

キャリアのピークは31歳だった。20代はばかみたいに働いて、ばかみたいに転職して、ばかみたいにキャリアを磨いた。周囲にいるのは、年上の男性やおっさんばかりで、しかし私は彼らと同等かそれ以上の結果を出した。それを裏付ける知識はあったし、経験が足りない部分は勘で補った。

で、自分が定めたある種のゴールに達したのが31歳。その後は隠居。実は私が本当にやりたかったのは小説を書くこと。ばかみたいに働いていたのは、現実のビジネスの世界から消え去る前に、世の中を学びたかったから。それだけ。——金の心配はしていなかった。その頃の私は、2、3年あれば小説で食べていけるようになると信じていた。

しかし実際には、自分の満足するものが書けるようになるまで10年かかった。その間に、出版業界は変質してしまい、どうあがいても小説家として食べて行くのは至難の業になった。

となると、私はやはり、かつてのキャリアにすがるしかない。実際、ここ何年かはその時の実績から仕事を取り、フリーで働いている。

でも、こんなこと、いつまで続くのだろう。

夏はオフシーズンなので、去年もその前の年も連続して3〜4ヶ月仕事がなかった。それを利用して小説を書いていたのだけれど、その生活に満足していたんだけれど、今年は違う。なんだか、何もかもが中途半端になりそうで、怖くなっている。

小説を書いて売っていくこと。
ビジネスの世界でフリーで仕事を取っていくこと。

両立って、難しい。もしかしたら、年齢を重ねるごとに難しくなる。

問題は、私に、ビジネスの世界のための努力が、ぜんぜん足りないこと。
仕事している時間は集中して結果を出すけれど、それ以外の一般常識や専門知識を磨くような努力のためには、どうしても時間を使いたくない。そんな時間があれば、小説に使いたい。私は新聞すら読まない。

だから、いつの間にか、同世代の中では先頭を切っていたはずの私の知識や経験が時代遅れになっている。働き盛りはみな同世代。たぶん、十年後には、私は年下に使われることになるのだろう。

継続は力、というのは正しい。どこへ行っても、同じ場所に長く居続けている人は強い。理屈ではない。とにかくその場所を知っている。とにかく強い。

逆が私。

同じ場所で、同じ人々と生き続ける自分がイメージできない。

どうしても、人生の目標をうまく定めることができない。器用貧乏という言葉が、的を射すぎていて嫌だ。いろんなことができることは、なにもできないことと同じ。他人から指摘されたこともある。

ほしいものが何もないことは、何も手に入れていないのと同じ。一寸先が闇にしか見えない。