回避性人格障害の診断基準7項目の中に、「自分は社会的に不適切である、自分には長所がない、または他の人よりも自分が劣っていると思っている」とある。
私は該当している。客観的には、私は恵まれた地位にいるが、それは、私が人間嫌いであっても、社会で必要とされる人間であり続けるために、身につけた鎧である。人間嫌いという致命的な欠陥を隠すために、積み上げてきた壁である。
壁の内側で、鎧の中で、素の私が、自己評価の低さに苦しんでいる。なにゆえ、そこまで自己評価が低いのか。ひとえに、「人間嫌い」だから。それが、すべての根本原因である。
自分に与えられたすべてを受け入れ、愛することができる人間は幸せだ。
親、兄弟、親戚、幼なじみ、近所の人
彼らが優れた人間だから、彼らを愛するわけではない。
ただ、彼らが自分の周りにいるから、彼らを愛する。彼らを大切にする。
これ以上に必要なことなどない。
これさえできるのであれば、その人は、どこへ行ったって人と繋がっていられる。
幼かった私の目に映る人たちはみんな、これができる人たちだった。
私も幼かった頃は、自然とこれができていた。
しかし、12才の頃からおかしくなった。
おかしくなったまま、元に戻ることはなかった。
異端
という自覚。
誰のことも好きではない。
誰かと仲良くしていても、深く知り合うようになると嫌いになる。
こんな人は、私の周りにいないように見えた。
だから、私が他人より優れているはずがなかった。
他人より劣っているとしか思えなかった。