私は人間嫌いである。
なのに、人を好きにならなければならないという強迫観念にとらわれている。
特に仲良くしたくない人でも、笑顔を向けられれば、無理して引きつった笑顔を返し、会いたくもないのに、会う約束をし、別れて一人になった時に、ほっとする。そのうち、その人の顔を見るのも嫌になる。また会おうと誘われても、断固として断る。関係は途切れる。つきあいを断つことを選んでいるのは私自身。ーーなのに、かつて私と仲良くしていた人たちが、私のいないところで、何年、何十年と、細く長くつきあい続けている事実に気持ちが暗くなる。その人たちの輪の中に、私は入って行きたいような感じはする。でも入って行けない。入って行きたくない。彼らだって、私のことなど、特に必要としていない。私のことを覚えていたとしても、私は集まりに来たくない人とカテゴライズされていて、やはり声がかかることはない。
これが劣等感の原因。
人を好きになろうとあがき、結果的に顔を見るのも嫌になっているのに、私はその現実を受け入れていない。人間嫌いという自分の性質を受け入れていなかった上に、いつか、誰かを、私は好きになると信じていた。私がいつも一人なのは、私のせいではなく、周りに優れた人間がいないからだと、心のどこかで思っていた。
できないことを無理とあきらめずに、克服しようともがく。
それ自体は私の性質の中の良い部分であり、それは人生の様々な場面で私を助けてきた。
しかし、それが敵にまわることもある。
私は人間が嫌いなんです。人間一般を好きになることができないんです。
と、あきらめる。
それが必要なことなのかもしれない。