社会への適応

ぜんぶのためにはがんばるだけの時間はない

このネガティブ日記を閉じることを考えていた。

今の私は、たいして人間が嫌いじゃない。

去年の9月、このブログを始めた時の私は、人間が本当に嫌いで嫌いでどうしようもなかったのだけれど、今はそうでもない。

結局、私の人間嫌いは、自分で招いていたということだ。私は自ら、自分が嫌いなタイプの人間たちにすり寄っていた。すり寄ることをやめたら、楽になった。私にも、大切にしたいと思うタイプの人たちが存在することに気づいた。人間嫌いという罪悪感が招く、自分が劣った人間であるという先入観。そこから開放されつつある。

このブログを閉じて、アメブロで出版に関するサイトを作ろうと思っていた。明るく前向きな宣伝用サイト。たぶん、作る。でも、結局、このブログからは逃げられないかもしれない。

いまだに、私はどう生きていっていいかわからない。地に足がつかない。

名作を生み出すという夢に引きずられている。生計を立てることも、人とは違った働き方で金を稼ぐことも、すべてはこの夢のために存在している。この現実を周囲の人たちから、私は隠す。ビジネスの世界の人たちには絶対に理解できないことだから。でも、彼らと付き合わねば、私の生計が立たなくなるから。

しかもプライドの高い私は、ビジネスの世界でも権威や賞賛や対価を求めたがる。あるいは、彼らに勝ちたがる。本当は名作を生み出すことが一番の目的なのに、ただ金を稼ぐためにしょうがなくやっているはずの労働市場で、私はむきになる。で、悩む。

などと書いてみると、冷静になる。

ほしいものはいっぱいあるけど、ぜんぶは手に入らない。

がんばれば手に入るけれど、ぜんぶのためにはがんばるだけの時間はない。

選ばねばならない。

何かを選ぶということは、それ以外の何かを捨てるということ。

選ぶことが苦手なんじゃない。捨ててあきらめることが苦手なんだ。