自分をさらけ出すことに対する恐怖の記憶を遡ると、中学生の頃からになる
自分のことを相談する時、私は1人の友達にすべてを話さなかった。2・3人にわけて話した
1つの相談事を2つか3つに分解して、それぞれを別の友達に相談するのだ
その2・3人が寄り集まって、私から聞いた話をつなげ合わせれば、1つの真実が浮かび上がるが、それはない。人々は、そこまで私を知りたがっているわけではない
そうして、私は自分を隠したまま、相談事を解決させた
ごく自然に、無意識のうちに、やっていた
友達とどんなに仲良くしゃべっていても、それは、友情とか、わかり合うとかいうたぐいのものではなかった
友達とは雑誌だと思っていた
友達から得られる情報は貴重だけれど、必須なものではない。私は雑誌を自由に閲覧するけど、雑誌の方は私のことを全然知らない
こんな状態をなぜ望むのか
根底にあるのは、他人を蔑む気持ちと、自分を恥じる気持ち
相反する感情が、人間嫌いの表と裏
今も変わらない