JRの線路をまたく陸橋を上っているうちに、ふと、自分の人生に対して私が求めるものは、とてもささやかなのかもしれない、と思った
専業主婦でいい
なのに、どうして、骨身を削ってキャリアを求めてきたのか、ひとえに、不安だったから。自分に対する不安、未来に対する不安
私は、いつも一人。私を受け止めてくれる大きな人々のつながりを、私は嫌悪して、拒否して、ここまできた
拒否したくて、拒否しているわけじゃない。どうしようもない、本能的な反応
私は、ただ、人間が嫌いなんです
だから、強くなるしかなかったのです
金ぐらい、人並み以上に稼げないと困るんです
勝ちたかったんです
私が嫌悪するすべてのものに、私は勝利して、高みを目指したかったんです
開放されたかったんです
自由になりたかったんです
でも、もうだめだ
自分の限界を受け入れる時期に来ている
たとえば、勝つのは無理だ
100億円稼ぐためには、そのための生活をせねばならない。しかし、私はそんな生活はしたくない
有名人になるには、そのための生活をせねばならない。しかし、私は人から注目されることに関して、意味もなく否定的な気分になる
権力を握るためには、そのための生活をしなければならない。しかし、私は他人の生活を変えることに興味がない
頭の中に浮かぶのは、小学五年生くらいの自分
百人一首に凝っていて、千年前の人々の関係や心の機微について、調べたいと思っていた。ーーなのに、私の生家があるのは山の中の集落だったから、私を導いてくれるような知識人は私の周囲にはおらず、当時はインターネットもなく、母が買ってきてくれる本だけが、私の知識の全てで、私はすぐに読み終わって飽きてしまうのに、次を求めるその求め方がわからず、そのうち忘れてしまう。そんな生活
あの頃の自分がほしかったもの。ーーすぐ近くにある大きな本屋、自分の研究成果を匿名で発表できるツール、個性の強い隣人、知識人の隣人、私の感性を分かってくれる家族……
それを手に入れることができれば、結局、私はそれでいいんじゃないかな
とても苦手なタイプの両親によって、与えられた私の幼少時代
その時代に染み付いた彼らの色のようなものを、私の中から消し去ることに必死になってきたけれど、無理なのかもしれない
それも私だから
遺伝子と同じくらい、私を定義付けている